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更新日:2021年11月29日
(18)12.6蒲原沢土石流災害(平成8年12月6日)
被害地域
北安曇郡小谷村
被害状況
人的被害(人):死者14/負傷8
悪夢のような2年が
北安曇郡小谷村M.Hさん(当時住職)
こちらに来て1年もたたないうちに、2年続きで大きな災害を経験しました。平成7年7月の豪雨災害と翌8年12月、前年の災害復旧工事に伴う蒲原沢の土石流災害です。平成7年の豪雨災害のときは、ちょうど法事で出かけていました。まさかあんな災害になるとは、その場にいた誰が予想したでしょう。寺に戻って間もなくでした。あまりの雨足の強さに様子を見に行ったほどです。それから間もなく土砂崩れがあり、道路が寸断されて孤立状態になってしまいました。近くの民家に土砂が流れ込むなどの被害もありましたが、幸いにもここは建物被害を免れ、近辺の方々の避難所となりました。本堂を使っていただきましたが、40~50名ぐらいおられたように思います。電気は通じていませんでしたが、ろうそくは豊富にあるので、明かりには不自由しませんでした。水は井戸水を使用しましたが、災害直後は濁っていたように思います。私どもは場所を提供しただけで、全体のまとめは地元職員を中心にやっておられました。ただ、大勢の方がいらっしゃったので、衛生面には気を使いました。
また、姫川の工事にきていた富山の企業の従業員の方が、中州に取り残されるという事態も発生しました。住民の方がちょうどあった重機でその方たちを助けた一場面もありました。その話を聞いた社長さんが、社員を助けてくれたお礼と言ってヘリコプターで食料を届けてくださったこともありました。
翌8年の12月には、思い出すだけでもお気の毒な蒲原沢の土石流災害です。何といっても前年の災害復旧の関連で治山・砂防工事に従事しておられた14人の方が犠牲になってしまいました。私どもの寺が被害にあわれた方々のご家族の待機所兼遺体安置所となりました。法事等の予定もいくつかありましたが、檀家のみなさんも小谷村の復旧工事で災害にあわれたということでご理解いただき、キャンセルさせてもらったりもしました。
二次災害と隣りあわせの危険な捜索活動のようでしたが、現場の状況、捜索活動の進捗状況など情報がほとんどご家族に伝わらず、テレビでの情報のほうが早いこともあっていらいらがつのった場面もありました。あきらめなければいけないという気持ちと、一縷の望みを持ち続ける気持ちと…。ご家族はどんなにつらかったことでしょう。私どもはそっと見守ってさしあげる以外、かける言葉もありませんでした。
身元を確認されたご遺体には、お経をあげてご供養させていただきました。そして、悲しみのどん底におられるご家族ですが、悲しみの前に生活があること、自分たちが早く立ち直ることの大切さなどを、2、3分ですがお話しさせていただきました。
関係者の方たちも懸命の捜索をされたと思いますが、ご遺体は13体の発見にとどまりました。12月も半ば過ぎだったかと思いますが、ご家族の方も引き上げられました。その後、ご遺体の一部など発見されましたが、その遺骨はこちらでご供養させていただいております。
今でも、12月6日には供養をさせていただいておりますが、北海道や東北など遠くからいらっしゃる方がたもいます。ただ、以前より人数が減ったことはあの災害から立ち直ったということですから、よいことだと思っています。まだ心の傷は深いことと思いますが、一日も早く皆さんが立ち直ることを祈っています。
教訓
伝えたいこと
避難所のように、一時的にでも多くの人が生活を共にする時は、衛生面に配慮する。
◆一番情報を欲しがっている人たちに、欲しい情報がスムーズに入らない。
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