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更新日:2021年11月29日

(8)秋雨前線豪雨

(8)秋雨前線豪雨(昭和46年9月5日~7日)

被害地域
県内全域
被害状況
人的被害(人):行方不明2
住家被害(棟):全壊6/半壊4/一部損壊6/床上浸水85/床下浸水1,140

山が崩れたときの土石流災害は予測がつきません

木曽郡日義村M.Mさん

 

私たち家族がここへ家を新築し、引っ越してきた翌年、昭和46年のことでした。9月5日はすぐ近くの南宮神社のお祭りの日で、地区の人たちは午前中から祭りの準備をしていましたが、連日の雨で裏山の御馬沢が危ないといわれ、結局お祭りは中止になりました。この沢は、ふだんはほとんど水のない沢で、はん濫した記憶など地域の人にはありません。まして沢の下流には集落のお墓があり、何代にもわたって先祖が祀られているのですから、誰もこの沢が荒れるなどとは考えてもいませんでした。

しかし、多量の土砂と流木を含んだ水は一気に谷を下り、集落に押し寄せてきたのです。私の家では幸い被害はなかったのですが、万一のことを考えて畳を全部2階へ上げました。水がつきそうな近所の家から預かった家財道具も上へ運びました。

消防の方たちはいろいろと水の流れを抑えようとしましたが、土石流はまるで生き物のように流路を変え、人の力などあざ笑うように田や畑をなめていきました。お墓も土砂に埋まり、墓石もどこへ行ったかわからないありさまでした。お墓の一番近くの家では、座敷が川になり、地区の公民館の中にも多量の土砂が入りました。私の家の前の畑も土砂と流木に埋められました。この災害で知ったことは、自然の川の流れは予測できないということです。

昭和57年は台風の影響で木曽川が荒れました。すぐそこの木曽川にかかる小さな橋があったのですが、その橋脚に流木がつかえ、対岸に水があふれ出しました。流木といってもこのときのものは製材所から流れてきた材木でした。道路まで木も水もいっしょになって流れ出し、左岸側の百戸ほどが浸水したと思います。当時は堤防も低く、橋に橋脚があったことが、この地域ではあれだけの災害になった原因だと思います。その後、川幅も広くなり、橋も橋脚のないものに架け替えられました。また、味噌川ダムができて洪水調整を行ってくれるので、以前のような心配はありませんが、水に浸かってしまった家々では川から離れて住んだり、盛り土を高くして住むなどそれぞれに対策をされている方もいます。

それでも、いまだ大雨の日があると、沢が心配になることがあります。昔は木曽といえば、国鉄と営林署に勤めれば食べていかれた土地柄でした。しかし時代が移り、生活も変わり、山に入る人も少なくなりました。昔はお金をしっかりかけてまでやった山づくりも、後継者がいないのが現状です。万一のときのために、消防団をはじめ、住民も水防訓練をしておくことが大切ですが、特に山で起こる災害は何がどう起こるかわかりません。その危険を少しでも少なくするために、山の手入れもおろそかにできないと思います。

昭和30年代、40年代に比べれば、木曽の山も禿山が少なくなりました。けれど、今の山が健康な状態かといったら、私はわかりません。個人の山持ちが自分の山の境がわからない状況もありますから、地区で協力してできるところから始めていくことも大切ではないかと思います。

 

教訓
伝えたいこと

土石流となった川の自然の流れは予測できない。
◆橋に流木がつかえ、水があふれ出た。山の手入れはおろそかにできない。

お問い合わせ

危機管理部危機管理防災課

電話番号:026-235-7184

ファックス:026-233-4332

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