ホーム > 防災・安全 > 防災情報 > 災害に学び、備える > (15)台風第18号

ここから本文です。

更新日:2021年11月29日

(15)台風第18号

(15)台風第18号(平成3年9月18日~19日)

被害地域
下水内郡栄村
被害状況
人的被害(人):死者1
住家被害(棟):全壊10/半壊3/一部損壊27/床上浸水7/床下浸水222

家を流されたのは昭和58年に続き2度目でした。

飯田市K.Tさん、T.Tさん

 

昔、わが家はいま家の建っている下の段、沢保田川の近くにあったんです。ところが、昭和58年の災害で、この家は流されていまいました。沢保田川に注いでいる知久沢川がはん濫し、土石流となって家は全滅しました。夕方のことで、私たちは勤めに出ていましたし、娘は高校へ行っていました。家の中にいたのは年老いた両親です。

ずいぶん雨も降り危険だとのことで、娘の高校では午後4時に「家に帰りなさい」というアナウンスがあったそうです。友人はもう少し残りたいようだったそうですが、家のことが心配になった娘は急いで戻ってきました。そこで土砂が家に襲い掛かるのを目撃したのです。

おじいさんは足の具合が悪いことを娘も当然知っていました。慌てて家に駆け込み、おろおろしている二人に向かって「何やってるの、早く出なさい」と叫んだといいます。娘が二人を助け出して間もなく、家は無残につぶれていきました。

その経験もあり、日当たりがいいこともあって高台に家を建てましたが、また同じような目にあうとは思ってもみませんでした。現在の住宅のあるさらに上に離れをつくり、祖父母はそこで暮らすようになっていました。何年か後、さらにその上にどうやら家を建てる様子でもあります。しかし、離れの際にある隣家の傾斜にはブロックが積まれているものの、基礎がちゃんとありませんでした。結局そのお宅は火災にあって家族も引っ越されたのですが、私たちが再び災害にあったのはその後のことでした。

平成3年の台風18号による雨で、もともと地盤も弱く、それに加え基礎も十分でなかった隣地のがけが離れに崩れ落ちてきました。土砂は20坪の建て家をいとも簡単に押し出し、その下にある駐車場までつぶしていきました。このときも祖父母が離れにいたのですが、幸い命に別状はありませんでした。けれども完全に傾いてしまった家の中で二人はなす術もなく動けないでいたそうです。

この地域は急傾斜地に家が数多く建っています。土壌がもろい性質のものらしく、断層が近くにあるといもいわれます。最近は降雨に関する監視の目も厳しくなり、またあちらこちらに土砂を食い止める工事もやっていただいています。しかし、私たちはいまでも完全に安心しきることはできません。自衛策として、地域の住民がいっしょになって、雨が降ったら皆で見張りに出たり、万一のとき水が滞りなく流れるように、日ごろから側溝の清掃なども心がけています。

関係機関に対しては、治山治水の工事を行う際に、急傾斜地について土壌や地質などさまざまな要件をさらにつぶさに検討していただきながら、住民の安全を守り、安心して毎日が送れるようにしていただけたらと思います。

 

教訓
伝えたいこと

その土地がどんな地質で、どんな地形であるかなどを知ることが大切。
◆地域の住民で、日ごろから側溝の清掃など河川管理に心がけている。

「何が起こるかわからない」と肝に銘じて

下伊那郡天龍村K.Mさん(当時62歳)

 

前日の9月18日は売木村の現場に仕事に出かけていました。側溝のコンクリートを入れる作業で、その日の作業を終え家に帰りました。翌日は朝からすさまじい雨で、今日は仕事に出ても仕方ないと思っていたところ、会社の同僚と電話で話す中で、「こんなに降るのだから昨日の仕事が無駄にならないようにしておかないと」ということで、わたしは現場に向かいました。

現場についても雨はかなり降っています。このままでは家に帰ることもままならないと思い、早めに仕事を終え帰路につきました。しかし売木村から阿南町新野を通り、天龍村へ抜ける国道418号線は、天龍村との境で集中豪雨による土砂崩れで通行止めとなり、この先へはいけません。川のはん濫している様子を見ても、早く家に帰らなければと気は焦るばかりです。阿南町の中心を通り、天龍村へ抜ける国道151号線もだめ。私は仕方なく県境を越え、愛知県の富山村を通って帰ろうともしましたが、こちらも到底家まで帰り着くことはできない状況でした。再び新野まで戻り、昼の12時、ここで足止めとなりました。

飯田市内の建設会社の知人が、151号線を通すから後についてくればいいと声をかけられ、ようやく家の見えるところまで戻ったのが午後2時半頃でした。天竜橋のところまで来ると、家の方角に煙の上がるのが見えます。「火事があったのだろうか」そのときはまだ自分たちの家がどんな状況になっているのか、分かるはずなどありませんでした。

私たちの家は午前10時に裏山の土砂崩れのために流出していたのです。パートの仕事を終えて、仲間とともにたまたま家に戻った妻は、その友人を送り出した後、家と一緒に土砂に飲み込まれてしまいました。

煙が出ていたのは隣の商店で、この家は焼けてしまいました。私の家の周辺で4軒の家がこの日災害にあったのです。台風による集中豪雨でこの日崩れた山の土砂は、天竜川に1万m³流れ込んだといいます。これまでに災害などなかった地籍です。山は決して木々が根を張っていなかったわけではなく、樹齢100年になろうという木もいくつかありました。しかし、あれだけの雨が集中的に降れば、人間の予想だにしない惨事が引き起こされるのだと痛感しました。土砂を吐き出した山は、岩盤まで露にし、山の土も木もすべてを吐き出したことを物語っていました。ようやく家のあった場所までたどり着いた私は、妻を失い、家を失い、ただ途方にくれるしかありませんでした。

災害から学んだことといっても、何があるのか分かりません。ただ、あれだけの雨が降れば、自然はどんなことになるのか分からないということです。

災害の後すぐ、万全な復旧工事が行なわれました。もう、あんなことは二度とないと私は思います。しかし、私の胸に残っているのは、今まで何の心配もなかった土地でも、災害の危険は常にはらんでいるということです。人間の力で予防できることにはきっと限度があるのだと思います。もうここは無事に暮らせる土地になったのだと思います。しかし、「何が起こるかわからない」そう肝に銘じておくことが、どこに暮らしていても大切なことではないでしょうか。

復旧にあたってくれた方々に感謝の気持ちを持ちながら、私はそう思います。

 

教訓
伝えたいこと

今まで何の心配のなかった土地でも災害の危険は常にはらんでいる。

お問い合わせ

危機管理部危機管理防災課

電話番号:026-235-7184

ファックス:026-233-4332

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?