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更新日:2020年4月16日
~江戸時代の町と村の暮らし~
大名調度具 (長野県立歴史館蔵) |
江戸時代になると、大名たちは、武士とその生活に必要な商人・職人を城下に集め、村に住む者は百姓身分としました(兵農分離)。中世と異なる近世の村が成立し、城下町が発展しはじめます。 中山道などの街道も整備されました。宿場に置かれた問屋は、輸送を独占していましたが、これに対して信濃では、荷主から送り先まで直接農民が馬や牛で運ぶ仕事が盛んになりました。これを中馬とよんでいます。信濃各地の産業は、この中馬の活動と結びあって発達しました。 江戸時代前期のふつうの農家は、かやぶきの屋根、ちょうな削りの柱、間仕切りの少ない土間と土座の単純素朴な造りでした。農民は、雑穀入りのカテ飯を土鍋で煮て食べ、麻の着物を着て、ネコとよばれる大型のむしろの上で生活していました。 |
黒田人形 (模造 長野県立歴史館蔵) |
農家のくらしは、経済の発達につれて大きく変わり、麻から木綿へ、一日二食から三食へ、土座から板の間へと衣食住が向上しました。豪農の婚礼は、あでやかな絹織物と豪華な祝い膳で祝いました。祭りの日には相撲や人形芝居、歌舞伎などを楽しむようになります。 庶民の文化や意識も高まり、読み書きや算盤を教える寺子屋が増えました。売買や約束ごとにも文書をとりかわすようになり、不正には訴訟をおこし、支配者の不法には力を合わせて実力行使(一揆)などで立ち向かい、自分たちの生活を守りました。 |
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