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県歌「信濃の国」について

最初に「長野県民歌」が決定されたのは昭和22年。現憲法施行を記念して公募されたものですが、あまり好んで歌われず、ほとんど忘れ去られてしまいました。
現在の「信濃の国」は、明治32年浅井洌により作詞、明治33年に北村季晴により作曲され、当時の師範学校の行事の時に歌われていました。その時の学生が、教師として県下に散り、「信濃の国」を各小学校で教え、親から子へ、子から孫へという形で、事実上の県歌として歌い継がれてきた歌です。
昭和41年に県章やシンボルが決定になり、県民意識の高揚のためにも「信濃の国」を県歌に制定してはどうかという気運が盛り上がり、昭和43年5月20日に県歌として制定されました。こうして「県民のほとんどが歌える」と言われる県歌が誕生したのです。

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